こんにちは福岡在住の管理人kinoppiです。
今回は、眼科医師の深作秀春(ふかさく ひではる)医師をご紹介します。
深作先生は、眼科の国際学会で最高賞を世界最多の20回も受賞し、世界から認められているスーパードクターです。
深作先生は、今まで様々な眼科手術を行い、15万件以上の手術をされてきたそうです。
その技術、手法はもはや芸術とも言われており、世界中から高い評価を受け、海外からの講演依頼も絶えないそうです。
2017年には世界最先端の眼科外科医に送られるクリチンガー・アワードに選ばれています。
この賞、世界ではなんと歴代11人目であり、欧米以外では初受賞なんだそうです!
本当にすごい天才ドクターですね!
そんな世界最先端の手術法と機械を導入している、医療法人社団秀仁会深作眼科が横浜と六本木にあり、院長をされています。
また、眼科医師でありながら美術にも造詣が深く、自らも幼少期から絵画制作を続け、作品を発表し続けています。
世界に通じるアートシーンを自らの手で育てたいという思いを持ち、横浜、六本木共に深作眼科の一部をアートギャラリーにし、多数のアーティストの作品展示を行っています。
また、眼科医としてだけではなく、画家としても様々な賞を受賞しています。
今回はそんな、スーパードクター深作秀春(眼科医師)医師の経歴についてや、出身大学と高校、弟子や結婚についてもリサーチしていきます!
経歴について!
深作秀春先生は1953年、横浜に生まれます。
2018年で65歳ですね。
お父様は海軍パイロットでしたが、戦後は警察官になり、その後警察署長になったそうです。
お母様は助産師だったそうです。
深作先生は学生時代から優秀で、高校は県内一の進学校、神奈川県立横浜翠嵐高等学校を卒業します。
1971年に運輸省立航空大学校に入学しますが、その後パイロットの夢を諦め中退します。
その後、国立滋賀医科大学に入学、1981年に卒業されています。
1982年には横浜市立大学附属病院、1985年には昭和大学附属藤が丘病院に勤務し、1987年に医療法人社団秀仁会深作眼科を横浜市西区に開院され院長となります。
深作先生が大学で英語の論文読んでいると、眼科は海外より日本があまりにも遅れていることにショックを受けられました。
アメリカで身に付けた世界最先端の移植術は、当時日本では他に誰もやっていなかったことで、中傷されたそうです。
しかし、深作さんの術後患者は視力1.0以上回復するなど、確実に他の医師の患者より結果が出ていた為、厚生省からすぐに公式の認可がおります。
すると、それまで中傷していた大学病院の他の教授達も手術法を真似し始めますが結果が出ていなかったことから、深作先生は自費で講習会を開催し、多くの医師に技術を教えられたそうです。
また、クリニックをスタートする際、最先端の機械、ビルの賃貸料など、かなりの運転資金が必要で、なんとか工面していたが大変厳しかったそうです。
その時、新聞関係者の家族の手術をしていたことから新聞取材が入り、夕刊の全国紙1面に掲載、毎日沢山の手術予約が入ったそうです。
同じくしてテレビ局の朝の番組で、白内障手術の生中継をしたのが大成功し、予約の絶えない、大人気のクリニックになります。
国内からも評価されたことで、様々な嫌がらせや、やっかみを受けたそうです。
それでも世界最高の技術と機械を用いて最高の医療を提供し続けたことで、世界最高の眼科医と評されるようになったそうです。
なんと海外で手術すると、深作先生の複雑な手術は1000万円かかるそうですが、日本では50万円で出来てしまうんだそうです。
高い技術も安い医療費で受けれる日本は本当に幸せな国ですね。
1994年には今ではすっかりお馴染みになった、日本初の近視矯正レーシック手術を開始します。
2000年には、網膜剥離の手術法を開発し、2008年には極小切開緑内障手術を開発します。
2012年にはなんと多摩美術大学院を修了し、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークにも就学されています。
2014年には深作眼科の六本木院を開院し、同時に「ヒデハル フカサク ギャラリー ロッポンギ」を開設します。
主な賞歴も多数です。
1990年には、米国眼科学会にて最高賞受賞
1992年には、世界眼科学会でグランプリ受賞
2008年には、国際眼科学会で最高賞等19回受賞
2010年には第77回独立展に初出品初入選、サロン・ナショナル・デ・ボザール入選(パリ・ルーブル美術館開催)
2016年には米国白内障屈折矯正手術学会で世界最多最高賞20回目の受賞、第1回枕崎国際芸術賞展にて市長奨励賞、日本の絵画2016入選
そして2017年には世界最先端の眼科外科医に送られるクリチンガー・アワード受賞(世界で歴代11人目、欧米以外では初受賞)
と、なんとも輝かしい経歴です。
医師としての賞だけでなく、美術家としても受賞している点が本当にすごいですね!
出身大学と高校は?
深作秀春先生の出身大学と高校ですが、学歴が非常に面白く興味深いです。
高校生の頃、羽田空港で颯爽と歩くパイロットの姿を見て感動し、その瞬間にパイロットになると決意、そこから航空大学校に応募します。
試験ではなんと初めて飛行機の操縦をしたにも関わらず、他の受験生の助けもあって、無事合格しました。
しかしその後オイルショックがあり、成田空港の開港が遅れ、パイロットの採用が無くなったことで大学を中退し、今度は2番目の夢であった医師になるべく医学部を目指します。
日本大学医学部に合格しましたが、1600万円もの寄付金が必要だったそうです。
とても払える状況ではありませんでしたが、試験の成績が一番だった為、寄付金、入学金、授業料が全て免除にしてもらえると言われたそうです。
しかしその後に国公立の発表があり、関西への興味もあり、国立滋賀医科大学に入学されています。
パイロットからお医者さんへの夢の切り替えもすごいですが、医学部まで成績一番で合格するなんて、相当優秀だったんですね!
ちなみに高校は、当時神奈川県内一の進学校だった、横浜翠嵐高校に入学されています。
それまでは何もしなくても優等生だったのが、数学の試験で落第点をとって考え方を変え、1年後、数学では全国模試で1番を取るようになったそうです。
ひたすらに努力、そしてそれを確実に結果に結びつける人ですね!
弟子や結婚もリサーチ!
深作秀春さんの弟子と結婚についてですが、深作さんのお弟子さんとは、どうやら中原将光先生という方のようです。
深作眼科で副院長をされています。
東京都武蔵野市生まれ、私立海城学園卒業後、浜松医科大学を卒業されています。
子どもの頃から医師が夢で、手先も器用だったそうです。
専門を決めるのに迷った時に、顕微鏡越しの目の手術が細かさという部分ではもっとも難しいと知り、眼科を選んだそうです。
大学病院では「深作式針」の手術器具を使っていたことから、深作先生のもとで学び始めます。
そして15年以上にわたり深作先生と共に世界最高の眼科手術を追求し続けたそうです。
白内障などの種々の執刀数は日本トップで、なんと年間数千件なんだそうです。
モットーは、「最高峰の手術技術は患者様の幸せにつながり、手術は芸術であり全ては患者様のためである。」だそうです。
ここにも深作イズムが継承されている感じがしますね!
深作先生の背中を追って、のちの深作眼科と日本の眼科外科を牽引する人物になるかもしれませんね!
また、深作先生の結婚についてですが、そのような情報は見つかりませんでした。。
奥様、お子さん、お孫さんがいても不思議ではない年齢ですが、フェイスブックなどを拝見しても、実に多忙で海外に出張されてる様子もよくアップされています。
ご自身の夢の追求、医療と芸術に人生を捧げていたとしても納得ですね!
また、とってもダンディな雰囲気の方なので、国内外問わず、とってもモテるんじゃないでしょうか。
そんな深作医師が、2018年1月22日(月)の19:00からTBS系列で放送される、「名医のTHE太鼓判! 目の寿命は…70歳 スッキリ若返りSP 老眼・近視・白内障」に出演されます。
人間の寿命は90歳に近づいてきていますが、目の寿命は70歳ほどなんだそうです。
人間の寿命と目の寿命の差があることで、正しいメンテナンスをしないと、目がつぶれてしまうとか。
世界レベルの眼科外科医の治療を受けることで、100歳でも裸眼で1.0の視力を得られる、と深作さんはおっしゃっています。
番組中ではモト冬樹さんの目の手術を担当されるそうです。
どんな世界レベルのすご技が飛び出すか、放送が楽しみですね!